ストレス解消法

イラクサの向こうの異性


巷の恋愛小説等ではしばしば、下記に類する表記を見かけます。
「僕の女神を見つけた。」「この男性(ひと)しかいない。」
この単刀直入な言葉は人々をぐっと率直に惹きつけ、
当該の恋愛小説購入へと彼らを真っすぐに導きます。
しかし、この言葉自体はとてもわかりやすいのですが、実際、
この言葉の背負っている中身を理解するとなると難しいのです。
何かわかった気のする感覚とは気分を満たしてはくれますが、
それそのものが現実の文脈に直通で生きるのかと問えば、
この点については甚だ疑問です。
この意味で気分的に美味しいロゴには無の責任性も含まれますし、
だからといってこのロゴ自体が悪徳な商品であるとも限れません。
ただ、私たちがこの文脈を楽しみながらも、そこから、
一歩離れて自分の人生を見つめるプロセスを歩まず、怠れば、いずれにせよ、
一時的に補われた気分がプラスに変換されることも無いでしょう。
それだけに誰かがわかりやすくまとめて描いた、
一つの異性像とその人ではない「私自身」の紡ぐ、
現実の出会いには隔たりもあるわけです。

私たちは、現実場面において異性を理解する必要があります。
私たちは、そのことによって自分を理解する必要もあります。

誰かが労して編集してくれた恋愛ドラマや恋愛小説では、
正味、数時間から数日で何らかの答えを実感させもし、
この感触に携わる自分を利口にも思わせてくれるのですが、
私たちが恋愛を学ぶには実際の恋愛を通して時には無力であったり、
愚かであったりする自分を経験する必要もあるわけです。
そして、自分と異性との間にあるのは美しく柔らかいカーテンではなく、
何層にも重なったイラクサである現実を知らねばなりません。
この厚いイラクサを双方向から掻き分けて突き進むことによって、
初めて、目の前の異性の真の長所に出会うことができるのです。
しかし、それまでにはイラクサのトゲが身体を刺すこともあり、
このイラクサの仕業そのものを自分や相手の短所であると誤解し、
何度も何度も、後に引き返したくもなることでしょう。
そこでいくらかを戻って一休みし、体力を温存し、再び、進み出す、
この根気よい道行きが男女の真なる出会いには要求されるのです。
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