まずは解っていないと思う![]() 同一視や、自分の理想に対する同一化といった精神上の激しい防衛反応です。 この時、彼にとっては恋する相手が自分イコールの布置にありますし、 この感情は無防備な状態にもありますから、その結果、 相手の様々を肯定し過ぎる半面、 自分と相手との相違には非常に疎くなってしまってもいます。従って、 特に恋愛初心者の間に繰り広げられがちな万能感に包まれた熱愛ドラマの展開上、 様々に印象づけられる彼らの美点が強烈な結びつきであるとしても、 そこには致命的な弱点が含まれていると捉えていくのが妥当です。 さて、「こんなにも、私のことを理解してくれる人はいない!」 「素晴らしい!」というのは恋愛初心者によってもしばしば語られる、 つき合いはじめたばかりの相手に対する熱烈な感想です。 しかし、この二人が破局を迎える際に事実にも誠実であるとするならば、 このことにも、彼らは必ず、明確に気づくことができるでしょう。 実は、彼らがつき合いはじめた原因と彼らの訣別とを決定づけた、 それぞれの要因とはまるで同じところにあったのです。 そう。それはつき合い始めたばかりの関係性であったにも関わらず、 相手を“自分のよき理解者である”と早々に位置づけてしまった、 当事者の中の軽率さに対する無理解と過信にも由来するのです。 というのは、実は、私の体験に由来するお話です・・・(笑) 私は、価値観の全く異なる相手と熱愛をしたことがあるのです。 今にして思えばその頃は間違いなく、当時の彼も、私自身も、 ――もちろん、両者は相手に関心があると思っていましたが、―― お互いの存在以上に異性とのおつき合いに関心があったのでしょう。 ですから、「好き」と言われればこの言葉の通りにしか捉えず、 では、この「好き」の中身とは一体、何であるのかと熟慮する、 貴重な過程を欠いていた点をつくづく私は振り返ります。 面白いのは、ここからです。私は、彼には自分の脆い面を容易に出せましたし、 いとも簡単に彼からの慰めを受け取ることもできたのです。 しかし、肝心な場面においての彼は意外にも、 私を盾にしてうまいこと隠れてしまうのです。それなのに名義上は私が、 彼以上の弱者に位置づいていないと納得がいかないようでした。 片や、結婚に至った彼は簡単には他者に頷かない人だったので、 当初、それはそれで脆い面を非常に出し難くもあったのですが、その分、 自分について、私は様々なものを駆使して様々に説明せねばならず、 これによって、自分自身を見つめるための練習を重ねるしかなかったのです。 ところが、一見して無駄とも思えるこの努力が少しずつ、 この彼との間には着実に結果を結んでいったのです。 何よりもまず、彼が、私についての理解を深めてくれましたし、 挙句、彼を動かすに至った私の中の実質的な変化は彼に限らず、私が、 それまでは理解を得られなかった人々をも動かしていったのです。 私は、上辺の気分のみに依存した「ワカル」でもない、 「ワカラナイ」をも扱う彼の態度を通じて、 現実に立ち向かう具体的な術を教えて貰っていたのでした。 しかし、この点は彼にも該当したそうです。 この関係の作り方は前者と比べて楽なものではないのですが、 それでも、この苦渋のもたらす理解を真摯に受け止める、 心の余裕が完全に失われることは双方にありませんでした。 そして、この動揺と受容とが繰り返されていくうちに私たちは、相手が、 自分にとって軽率な存在ではないことを理解するようになりました。 ここに至って私は、理解したのです。 「かつて、私はワカルから始めたから失敗を経験したに違いない。 従って、私は解らないから始める必要があったのだ。」と。 私には今、私の背中を理解に向かって押してくれた過去の恋愛と、 私に私の無理解を教えてくれた今の恋愛がとても大切です。 AboutSite
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