親の代理配偶者となる子"親のすねをかじり続ける、風変わりでお気楽な独身者"の意で流行する名称、 パラサイト・シングルに象徴されたある種の悪癖を備えるばかりでもない、 若者たちがいます。親元に身を置くことによって彼らはむしろ、自立心を内在しつつも、 ![]() このように独身者の中には専ら、親のエネルギーを補給するための殉教者役や、 親の真横に並んでの、親の支え役を担い続ける人もいます。 彼らは、片親の急逝や両親の不仲等の問題が家庭に生じた際、 必然的にその家族の失った役割を補う形で自分の役割に就任し、 徹して来たわけですが、専門的にはこれを"一時的な親子間における、 代理夫婦的関係の形成"とも呼んでいます。 この彼らの担う役割は家庭の危機場面に際して一時的には重要となる項目ですが、 代理夫婦の片割れである片親が自身の自立には全くもって関心が薄く、この点が、 自分を不幸にする類の恋人との接点ばかりを持ち続ける形等で表れるとしても、 来るべき、代理夫婦的関係の解消に結びつかない決定的な要因ともなるでしょう。 従って、いつになっても子供は親を心配し続ける形でこの役割に留まってしまい、 彼にとっての横並び世代に恋人や配偶者を持つ機会さえも見失ってしまうのです。 この点に無自覚な親ですと彼らは悪びれもせずに子供の代用を続けますし、 子供の側も、ここに"親孝行の息子、娘"等と名誉の称号を浴びることもありますから、 尚のこと、この関係性の恒久化に至ってしまうこともあるわけなんですね。 昨今、農村地帯等では年老いた親と独身の息子とで睦まじく暮らす構図を拝見しますが、 親の側の自尊心がこの代理夫婦的関係性の保持に限定して埋め合わされている場合、 嫁不足の土地にようやく嫁いで来た奇特な女性をいびり倒してしまうことがあります。 第三の人物の参入によってどうしても、親の側が脅かされるわけなんですね。 昨今、日本で問題とされている既婚率の低下は何も、 若者の側だけに理由があるわけではないのです。 その一方で、親と子の間には埋めようの無い生活軸の時差があります。 ですから、子供を代理配偶者として一方的に拘束し続けることには間違いなく、 彼らをこの世に置き去りにすることの冷酷さが象徴されているわけです。 もちろん、親子が完全に絶縁し合うことの必要性はどこにもありませんが、それでも、 新たなる、自らの人生と子供との関係性とを模索していくための努力は欠かせません。 それが同情なのか愛情なのか、近親者との結びつきにおいて親自身が、 この点をどう子供に示したかは子供の恋愛観にも強く影響します。 親は自分の子供を愛しているのであれば、子供を所有し過ぎてはいけないのです。 そして、子供にとってはこの所有の距離感こそが、 恋人に対する距離感に繋がるのです。 AboutSite
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