ストレス解消法

恋愛イメージからの覚醒へ


私が恋愛を通して学んだことには何よりも、人間が、
相当な程に自分に対する世間知らずである点です。このことはもちろん、
私が、自らの無知を明確に自覚したことを意味するわけですが、
それでも、ここを普遍化して捉えることにも妥当性はあると思います。
通常、恋愛に対する世間知らずと言えばまず、絵に描いたようなお嬢様や、
自室で恋愛小説を貪り読むことに忙しい、
そんな人間像を引っ張り出すことでしょう。
しかし、この点については恋愛小説への過剰に逃避的な愛読者に限らず、
性別を持って生まれたこの世のあらゆる人々に該当するものです。
これは、私が、“現実を夢見る存在”であると人間を考えているためです。
恋愛についても同様であり、人々は、恋愛とは何かこのようなものであるという、
個々に確信めいた、個々の夢を大切に持って暮らしているわけなのです。

その一方で、男女がお互いの本質をもってして互いに厚く結びつくためには、
一度、この個々に自由な夢からは鮮明に目覚める勇気を扱わねばなりません

ただ、この言い回しでは誤解を与えると思いますのでこうも添えておきましょう。
私は、己の培ってきた良い夢から目覚める必要もありますが、
同時に悪い夢からも覚醒する必要があると人に申し上げたい
のです。
これは、現実世界における現実的な恋愛には夢の喪失体験に味わう深い悲しみに限らず、
新たな、厚い獲得の体験をも準備されていることに対する私の確信に基づいた考えです。
人は自分だけのファンタジックな恋愛観に守られてもいますが、
人が、これに依存するしかないのはそれだけ、
現実世界での異性やパートナーを信頼できていないことの証
です。
これこそが、私が覚める、或いは冷める必要のある悪い夢と称するものの所以です。

この自分に対する不信心にこそ現実対象との具体的な連携能力を備えなければ、
私たちは生涯、夢の世界に包まれる以外の物事に対する価値観の広さを失います。
これでは、新しい自己受容を自ずと獲得することさえ私たちには叶いません。

私たちに備わる手のひらとはしかし、無限の時間と広さとを持ち合わせません。
当然、時が訪れたところで膨張する夢は手のひらをこぼれ落ち、
私たちに自らの悪素を知らしめます。
現在のあり方に対する限界を示唆するのがこの暗黒面ですが、
この要素を読み間違える人々はこの色素に留まり、
所謂、夢の黒ミサ活動にこそ従事してしまいがちです。
これこそが普通食をとれる状態に至っても尚、いつまでも、
哺乳瓶を握り続けているのと同じことでもあり、実際、
この哺乳瓶の成れの果てが夢の黒ミサの正体なのです。
しかし、私たちが次の自己受容を手に入れるためには当然、
古い受容の廃棄と転換とを覚悟してゆかねばなりません。
そして、この時期、私たちは自ら恋愛によっても傷つかねばならないのです。

私たちは、過去の受容では包み切れない程の無力をも、
必要に応じて体験せねばなりません。
この圧倒的な己の中の無力に対する直面化こそが
現時点での限界を明確に指し示すため、
これも伴わなければ私たちには適度な諦めもつかず、
次元を新たにした愛着対象に対する、出立を自身に可能とすることができないのです。
つまりは物事は傷ついてみなければ始まらない、
始まれない、そこは恋愛も充分に該当するわけです。
まさにこの傷の回復過程に伴ってもたらされるものが、心理的な成長です。
私たちはある程度の傷害を受けるプロセスを具体的に体験するからこそ、
この時の傷を通して自分自身を直視しなければならなくなりますし、
そこに目を向けることによって初めて、自分には何が必要であって、
何が余分であるのかを現実に即して見定めることができます。

そして、このプロセスがカップルの双方に生じる時、
この二人は現実の文脈上に親しくなることができるでしょう。
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